ぬるっと鈍行旅情

Local Train Journey

【青森県】横浜市民が"横浜町"に行ってみる

こんにちは。塗留です。

 

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開幕早々ですが、私、塗留は横浜市の出身です。

 

nururu.hatenablog.jp

ちなみに当ブログで初めて執筆した地も横浜でした。

そんなかれこれ20年近く住み続けている横浜市ですが、一市民として予てより訪れてみたいと思っていた町があります。

 

 

それが、青森県上北郡横浜町。

小学生の頃、地図帳を眺めていた時に発見し、青森県に横浜がある!!!!!!!と興奮したのも懐かしい記憶。

 

ということで、今回は念願叶って横浜町を観光します。

 

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いざ北へ。

 

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到着しました。

JR大湊線の陸奥横浜駅です。

東海道線の横浜駅からおよそ753.5km。地元より北海道の方が近い北の方までやってきました。

 

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一面二線の島式ホーム。

2021年3月までは大湊駅管理下の業務委託駅でしたが、現在は無人化されています。

 

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階段を降りて、踏切を渡って出るタイプ。

 

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横浜町は下北半島に位置します。

西に陸奥湾を望み、名産物のホタテやナマコ、カレイなどが水揚げされているらしい。

 

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そしてもう一つ、横浜町を代表するものが「菜の花」。

毎年5月ごろになると一面の黄色が咲き誇ります。

 

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駅から出たところ。

神奈川県横浜市は言わずと知れた港町ですが、上にも述べた通り横浜町も同様に海辺の町であります。

 

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海抜は12m。駅舎は若干坂を登ったあたりに位置しています。

 

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少し分かりにくいですが奥の地平線あたりが陸奥湾。

 

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しかしどこを見ても……

 

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「横浜」の字があります。横浜町なんだからそりゃそうなんですが。

ちなみにWikipedia曰く『神奈川県横浜市より先に誕生した』そうな。

ja.wikipedia.org

 

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駅から少し歩いて横浜町役場に来ました。

町章は横浜の「よ」を図案化したものらしい。

 

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「町民の誓い」が制定されています。

 

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近くの横浜郵便局。

横浜市にも当然郵便局はありますが、シンプルな「横浜郵便局」は見れないかも。

 

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横浜小学校。

横浜市にも当然小学校はありますが、シンプ(ry

 

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下北半島縦貫道路を早く全線開通させよう!という幕。

上記道路は現在、野辺地BP〜吹越BPとむつ南BPの一部が既に開業されており、残る横浜町〜奥内、野辺地〜七戸間が完成すれば……というところまで来ているようです。

 

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ということで、道の駅よこはま・菜の花プラザに到着しました。

手前の方は町のPRキャラ「なのは」さん。

 

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ごはんタイム。

まずこちらがおこわおにぎり。

 

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町の名産・ホタテが入っています。

 

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もう一つ、こちらはべご餅。

下北の伝統的な郷土菓子で、まとめた餅を金太郎飴のように切っていくことで、このような美しい絵柄の断面が出来上がるらしい。

ちなみに値段はかなり安く、これ二つ合わせて実に320円。お手頃です。

 

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さて。列車の時間もあるので、この辺りで来た道を戻ります。

 

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黄緑看板ってあまり見たことないな……

 

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ちなみにですが、当日の横浜市と横浜町の気温差がこちら。

曇っていたということもありますが頗る過ごしやすかったです。

 

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陸奥横浜駅に戻ってきました。

ここから快速しもきた号で大湊方面を目指します。

 

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では、今回はこの辺りで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

おまけ

道の駅で買ったもの。

 

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道の駅マグネットと、

 

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YOKOHAMAスタンド。

 

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多分横浜市には売ってないと思う……

 

 

参考文献

・横浜町公式サイト シンボル

https://www.town.yokohama.lg.jp/index.cfm/9,0,26,145,html

・むつ市公式サイト 下北半島縦貫道路

https://www.city.mutsu.lg.jp/government/seisaku/simokitahanntoujuuknndouro.html

・まるごと青森 下北のおばあちゃんが作るふるさとの味「べごもち」

https://www.marugotoaomori.jp/blog/2012/08/13234.html

 

【茨城県】稲田石を見に行こう

こんにちは。塗留です。

 

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茨城県笠間市、JR水戸線の稲田駅に来ています。

 

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稲田駅は2024年8月に簡易委託駅から無人駅へと変更されました。

直近のこととだけあり、当時の面影がまだ残っています。

 

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さて、今回の目的はズバリ「稲田石」。石を見に来ました。

とはいえ、辺りを見回すだけでもすぐに見つかるくらい様々なところで使用されています。

 

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例えばホームへの入り口の淵の部分や、

 

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外の駅看板も石で作られています。

 

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他にも歩道や、

 

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公園や、

 

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橋の名が書かれているプレートにも。

 

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稲田地区を代表する稲田石。

その白く美しい外見から「白い貴婦人」の名を持つ花崗岩の一種です。

名前だけでは少し馴染みが無いかもしれませんが……

 

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東京駅丸の内駅舎の駅前広場のほか、夜の画像しか無くてすみません

 

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国会議事堂や、

 

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ニュースでよく出る東京証券取引所、

 

他にも

・最高裁判所

・日本橋

・日本銀行本店

といった我が国の重要施設の建材としても使用されています。(もちろん茨城県庁にも)

 

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駅には「石の百年館」という資料館が隣接しています。

ここでもう少し詳しく見ていきましょう。

 

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こちらが稲田石。

古くは江戸時代から採石が行われており、きめ細やかで美しく、耐久性に優れ経年劣化も起こしにくい上、量が豊富で土地的にも東京に近いという打って付けの存在でした。

 

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ちなみに館内では実際に稲田石が売っています。

1個200円。買いました。

 

 

さて、駅から離れ、続いては採石場の方に行ってみます。

目指すは石切山脈。

 

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山に向かって歩きます。

 

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途中で見かけました。石の町らしいですね。

 

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のどかな道を歩き…

 

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到着しました。

株式会社想石さんの門から入ります。入場料は300円。

事前の予約をしていくとプレミアムツアーコース(+1000円)が選べ、現役の採掘風景を見ることもできます。

select-type.com

ですが、今回は時間との兼ね合いもあったので一般料金で入場しました。

 

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しかし一面に広がる広大な石切場を見るだけでも余裕で元値が取れるというものです。

一時期「地図に無い湖」として有名になったらしいですね。

 

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別角度。

 

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ほかにも稲田石で作られたオブジェなどもあるので、それなりに見応えがありました。

 

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では、今回はこの辺りで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

おまけ

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このあと笠間にも行って笠間焼も買いました。

 

 

参考文献

・笠間市公式サイト 稲田石について

https://www.city.kasama.lg.jp/page/page006752.html

・広報かさま 平成30年1月 我がまちの誇り「稲田石」

https://www.city.kasama.lg.jp/data/doc/1515574644_doc_1_8.pdf

・平和不動産 日本橋兜町の歴史・史跡

https://www.heiwa-net.co.jp/business/redevelopment/history.html

・株式会社想石 石切山脈公式サイト

https://www.ishikiri-sanmyaku.com/

【群馬県】「縁起だるまの少林山」に行ってみよう

こんにちは。塗留です。

 

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群馬県高崎市、JR信越本線の群馬八幡駅に来ています。

高崎駅から2つお隣の駅です。

 

ja.wikipedia.org

いきなりですが、上毛かるたをご存知でしょうか。

群馬県に因む郷土かるたであり、地元を象徴する建造物や歴史、人物、伝説などが短いフレーズに纏められています。

 

db.netkeiba.com

例えば「あ」の読み札は『浅間のいたずら 鬼の押し出し』。

競馬好きな方なら反応するかもしれませんが、21'セントライト記念の勝ち馬・アサマノイタズラ号の由来でもあります。

浅間山の噴火(=イタズラ)によって生まれた景勝地「鬼押出し園(吾妻郡嬬恋村)」を詠んでいるんですね。

 

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さて、今回の目的地は、読み札で言うと「え」の場所。

「縁起だるまの 少林山」に行ってみたいと思います。

ここで言う少林山とは、少林山達磨寺のこと。

群馬八幡駅が最寄りで、徒歩20分ほどです。駅に出ると早速だるまがお出迎え。

 

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しかしこの日は暑かった!

酷暑で有名な高崎市ですが、当日の気温は36℃(高崎駅前)。天気は良いですが辛くなる暑さです。

 

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とはいえ晴れていて景色は良いので道中の写真撮影が捗ります。

涼しげな碓氷川。

 

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こちらは上毛三山の一つ、榛名山。

 

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橋の欄干にもだるまが佇んでいます。暑そう。

 

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ヒーヒー言いながら歩いていると……

 

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到着しました。

こちらが少林山達磨寺。縁起だるまの発祥の地とされています。

 

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山門をくぐり、気持ち涼しげな木々の中を抜けていき、

 

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昇りきって振り返ってみるとなかなか良い景色です。

多少木々に隠れますが、それでも遠くの山々や街並みが見えます。

 

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そして、こちらが達磨寺の達磨堂。

右に左にたくさんのだるまが置かれています。

 

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近寄ってみると圧巻。

基本的に、だるまは願掛けの際に目を一つ入れ、それが成就したらもう片方にも入れて供養していただくものとされています。

つまり、これだけ多くの両目のだるまがあるということは、それだけ多くの人々の祈願や一年の無病息災が叶ったと言えるわけですね。

 

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「防衛大臣」と名前が入っただるまさんが一際目を惹きます。

 

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達磨寺が縁起だるまの発祥の地という話をチラッとしましたが、歴史は天明3年(1783年)まで遡ります。

浅間山の大噴火をはじめとする天変地異により、天明の大飢饉が発生しました。

農作物は不作が続き、多くの人が苦しむ中で、その救済のために作られたものこそが、縁起だるまでした。

 

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眉毛は鶴を、髭は亀を表しています。

九代目住職・東嶽和尚からその張子だるまの作り方が山縣友五郎に伝授され、縁日に売られるようになったのが、今日の高崎だるま市に繋がっているとされています。

 

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……にしても本当に暑くて倒れそうな日でした。🐟

 

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では、今回はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

参考文献

・スポーツニッポン新聞 【セントライト記念】アサマノイタズラ由来は星野オーナー地元愛”上毛かるた” 2021年9月21日

https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2021/09/21/kiji/20210921s00004000002000c.html#goog_rewarded

・少林山達磨寺 縁起だるま発祥の寺 

https://www.daruma.or.jp/%e7%b8%81%e8%b5%b7%e3%81%a0%e3%82%8b%e3%81%be/

・産経新聞 「新しい伝統を」「高崎だるま市」新年は駅前通りで 達磨寺は対立 群馬 2016年10月8日 

https://www.sankei.com/article/20161008-OMWQMNRNMRM7ZBJ5UTCD2QE5PQ/

 

【福島県】石炭と温泉の町 磐城湯本を観光

こんにちは。"ぬるる"改め、”塗留”です。

読み方は同じですのでよろしくお願いします。

 

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福島県いわき市、JR常磐線の湯本駅にやってきました。

 

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ターミナル駅のいわき駅より2つ手前に位置する湯本駅。どうやら、ホームの駅看板は地元の中学生の方が制作したものを使用しているようです。なかなか味があります。

 

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この「湯本」の名から察せる通り、ここ常磐湯本は温泉が湧き出る地です。

ホームにも足湯が設置されています。信州の上諏訪駅を彷彿とさせる光景。

 

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他に駅前やその周辺にも足湯や、

 

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お湯が滴るモニュメントや、

 

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もちろん公衆浴場もあります。

ここら一帯は「いわき湯本温泉郷」という呼び名が付いており、有馬温泉・道後温泉という名だたる温泉郷と共に日本三大古泉に数えられています。

 

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温度は結構熱め。主成分に含まれている硫黄の香りがします。

 

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さて、湯本は言わずと知れた「スパリゾートハワイアンズ」の最寄駅でもあります。

「常磐ハワイアンセンター」として昭和41年(1966年)に開業した当施設は、石油の台頭に伴い需要が低迷した「常磐炭砿」の新たなる取り組みの一環として開園しました。

 

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湯本は温泉のみならず石炭の町でもあったわけです。

ということでこちら。「いわき市石炭・化石館 ほるる」へやってきました。

湯本駅からは徒歩15分ほど。

 

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博物館の前には首長竜のモニュメントがあります。フタバスズキリュウさんです。

名前の由来は化石が産出された地層の「双葉層群」と発見者の「鈴木直」氏から。

 

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主に化石や鉱石といった「地層」と、先に述べた常磐炭鉱に関わる「石炭」の2つのジャンルの説明・展示がなされています。

 

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館内の敷地内にこんな展示がありました。

 

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こちらは「湯本第6坑人車坑々口」。要するに湯本炭砿の入り口の一つです。

昭和22年の8月6日、昭和天皇が東北地方を巡幸された際に、こちらの坑口より坑内にお入りになり、直接従業員の方々を激励されたとのこと。

 

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さて、個人的な目玉であった「模擬坑道」の方へ行ってみます。

 

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エレベーターに乗ると暫くしてから中が暗くなり、地下深くへ降りていきます。速度が遅めなのか実際かなり深めなのか分かりませんが、乗っている時間は長めに感じました。

結構真っ暗になるのでちょっと怖さもあります。

 

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無事到着。

静かな坑道を順路に沿って歩いていきます。

……と思ってたんですが、ちょうどこの日は地元の小学生の皆さんが社会科見学に来ていたらしく、次第に騒がしさを増し始めました。元気なのは良いことです

 

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それはともかく。

一口に「採炭」といっても時代によって様々な形式があります。

明治初頭、片寄平蔵が弥勒沢(みろくさわ)にて石炭層を発見したことに始まる常磐炭田の歴史は、まずは石炭を見つけたら採掘して、を繰り返す比較的無計画なものでした。

 

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それから段々と掘削に機械が登場するようになり、

 

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安全性や効率性が向上した掘進がされるようになりました。

地上から離れた場所で、危険と隣り合わせになりながらの仕事の苦労は想像しても仕切れないものがあったと思います。エレベーターで怖がってる塗留さんには到底無理そうですね

 

さて、ここ常磐炭田は、もうひとつ"厄介"な存在がありました。

 

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それこそが序盤で述べた「温泉」。実際にこの模擬坑道内でも温泉が沸いている(と思われる)地点がありました。

 

物理的に閉鎖的な坑道という空間において、熱くて量が多い温泉は天敵でしかありません。

こういった温泉は、ボーリングによる強制排水がなされていたほか、水風呂に入って身体を冷ましたり、塩や梅干しを食べて塩分を補給するといった高温対策が行われていました。

 

ja.wikipedia.org

常磐炭砿は西南戦争の激化に伴い、新たな採掘拠点としてその重要性を増していきます。

が、二次大戦後のエネルギー革命により、石炭の需要が徐々に低下していくと、国内各地の炭鉱が次々に閉山。常磐炭砿も時代の転換期に立たされました。

 

そんな中で日の目を浴びたのが、採炭における最大級の敵であった「温泉」。

常磐炭礦株式会社副社長(当時)の中村豊氏による、この豊富な温泉とそれによる地熱を利用した、「温泉レジャー施設」という全く新しい事業の展開により、起死回生の復活を遂げていきます。

 

www.hawaiians.co.jp

そして生まれたのが「常磐ハワイアンセンター」。

「日本のハワイ」をイメージして作られた施設は、計画当時の下馬評を大きく覆し、東北最大級のレジャースポットへと成長しました。

 

そのハワイアンセンターは「スパリゾートハワイアンズ」へ名前を変え、現代でも賑わいを見せます。

今回は時間の都合で割愛してしまいましたが、今度改めて行ってみたいですね。

 

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ということで、石炭と温泉の町・常磐湯本の観光でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

参考文献

スパリゾートハワイアンズ ルーツ&ヒストリー

https://www.hawaiians.co.jp/show/history.html

スパリゾートハワイアンズ ハワイアンズヒストリー

https://www.hawaiians.co.jp/profile/history01.html#history01

【茨城県】海の見える駅!日立駅に行ってみた

こんにちは。ぬるるです。

 

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茨城県日立市、JR常磐線の日立駅にやってました。

まず目を引くのはその外観。2012年にはグッドデザイン賞、2014年にはブルネル賞の最優秀賞を受賞した経歴もある現代的な駅舎です。設計は妹島和世氏。

 

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日立市は太平洋沿いに位置する町。古くは炭鉱の町としても栄え、現在でも日立製作所や三菱重工などの企業城下町の色を強く残します。

 

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日鉱記念病院さんの広告もあります。「日鉱」は日立炭鉱の略だと思いますが多分そうですよね。

 

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一番の目玉はやはり改札を出て右手側、海岸口出口の方にあるスポット。

ここからは雄大な太平洋を望めます。なるほど確かにこれはグッドデザイン。素人にも素晴らしさを感じられる景色です。

 

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改札内からも海が見えます。

こちらはより一層「駅」という感じがして良いかも。

 

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こちらは海岸口から出た辺りの光景。手前には国道6号線が通っています。

 

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ちなみに、この辺は「日立製作所(企業)」、「日立(地名)」、「常陸(旧国名)」と一口に「ひたち」と言っても様々な意味合いを持ちます。

日立市の由来は常陸国から……のように思われますが、日立市公式サイトによると、

「日立」の地名は、水戸黄門として有名な水戸藩二代藩主の徳川光圀公がこの地を訪れ、海から昇る朝日の美しさに「日の立ち昇るところ領内一」と称えたという故事に由来すると言われています。(日立市公式ウェブサイト 日立市のプロフィール 歴史 より引用)

とのこと。ただまぁ恐らくは常陸国に掛けた意味合いもあったんでしょうね。

いずれにせよ、時の藩主も見惚れるほど美しい景色であることには違いありません。

 

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ちなみに、日立駅はガラス面が多い関係か、外から見える駅名看板が建物内に設置されています。

この距離でじっくり見る機会もあまり無いのでこちらも隠れ名所かも。

 

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では、今回はこの辺りで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

参考文献

日立市公式ウェブサイト JR日立駅 

https://www.city.hitachi.lg.jp/citypromotion/hitachi_donnamachi/1007477/1011149/1010610/1004743/1004744.html

日立市公式ウェブサイト 日立市のプロフィール

https://www.city.hitachi.lg.jp/citypromotion/hitachi_donnamachi/1007476/1004620.html

 

【東京都】都内随一の観光地 浅草を歩く

こんにちは。ぬるるです。

 

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東京都台東区、JR総武本線の浅草橋駅に来ています。

 

 

今回はここから浅草寺まで約1.7km、所要時間にして30分ほど歩いてみましょう。

江戸後期の寺門静軒の著作「江戸繁昌記」にも、参詣について『未だ嘗て一刻の間も絶へざるなり』と記されたほどの賑わいを見せた浅草寺。インバウンド効果が囁かれる昨今でも、それを象徴するかのような場所でもあります。

 

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さて、「浅草橋」駅と名乗るからには当然近くに浅草橋が掛かっています。それがこちら。下を流れるのは神田川です。これを境に台東区と中央区が分かれています。

 

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近隣の台東区立浅草橋公園にはこんな石碑が。

浅草見附跡とありますが、見附とは城の外堀に沿って複数建てられていた設備のことで、要するに見張り台のようなものです。江戸城がすぐ近くにあったことを思わせます。

 

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ではでは早速歩き始めましょう。

基本的には国道6号線に沿って歩いていけば大丈夫そうです。

 

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途中の交差点には柳橋二丁目の名前があります。柳橋はかつて江戸を代表する花街として栄えた町でした。

 

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こちらは先ほどの浅草橋から見た柳橋(中央奥の緑色のやつ)。

花街としての柳橋は昭和初期あたりから衰退してしまったらしく、かつての趣きを思わせる景色はほとんど残っていないようです。

 

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柳橋二丁目交差点から須賀橋の信号を越えると蔵前一丁目に着きます。

蔵前はかつての蔵前国技館があった地でもあります。好角家の方々にはお馴染みかも。

 

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ちょっと寄り道。蔵前橋の方に行ってみます。

 

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この辺りには「蔵前」という地名の由来となった浅草御蔵がありました。

御蔵とは超絶ザックリ言うと「給料の代わりとなるお米を保管しておくための蔵」が設置されていた場所。関東大震災で消滅してしまいましたが、全盛期には3,6000坪(東京ドーム2個分くらい)ほどの敷地面積があったらしいですね。すごい。

 

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国道の方に戻ってまいりました。

 

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蔵前一丁目から二丁目、三丁目、厩橋、駒形二丁目、駒形橋西詰と歩いていきます。

 

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ちなみに、こちらの駒形橋と先ほどの蔵前橋、それから相生橋・永代橋・清洲橋・言問橋の隅田川に掛かる六つは「隅田川六大橋」と呼ばれ、関東大震災後の復興事業の一環で生まれたものです。

 

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さてさて、駒形橋西詰交差点からは国道6号線を離れ、並木通りを進みます。

 

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ついに見えて来ました(超逆光ですが)。

浅草の顔、雷門です。

 

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正式名称は「風神雷神門」。門の横に安置されている風神と雷神に由来します。

 

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門をくぐると仲見世通りが広がっています。

実は日本最古の商店街の一つらしく、手前の雷門側で玩具やみやげ品を売っていた店は平店(ひらみせ)、奥の宝蔵門側にあった水茶屋は役店(やくだな)と呼ばれていました。

 

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宝蔵門を越えるといよいよ目的地、浅草寺本堂と御対面です。

国内でも特に古い寺院で、その歴史は飛鳥時代の628年まで遡ります。かつてこの土地にいた漁師の兄弟が現在の隅田川で網漁をしている途中、観音(聖観世音菩薩)像を掬い上げ、これを供養したことが浅草寺の起こりであるそうです。

 

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浅草寺はなにかと時の有力者との繋がりが多く、観音信仰が篤かった源頼朝が戦勝を祈願したり、徳川家康も関ヶ原の戦いを前に武運の祈祷を命じています。

その結果実際に勝利を治めたことで浅草寺の荘厳も一層増したようです。

 

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明治時代になると浅草寺の境内一帯は「浅草公園」として整備されました。公園六区交差点などにその名残があります。

 

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公園内には国内一の高さを誇った凌雲閣も存在しました。こちらも関東大震災で倒壊してしまいましたが。

 

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さて、雷門から出て来ました。

ここで散歩は終了。東京メトロ浅草駅に向かって帰るとします。ちなみにこの浅草上野間は東洋最古の地下鉄区間でもあります。

 

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古くから信仰を集めた浅草寺をはじめ、周囲にも歴史的な史跡を残す浅草。今も昔も人気の観光地であり、重要な拠点であったことが改めて分かりました。朝方にくれば比較的空いているので早朝観光もお勧めです。

 

では今回はこの辺りで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

参考文献

【書籍】

学生社 松本和也著 「東京史跡ガイド⑥ 台東区史跡散歩」 1992年発行

平凡社 小森隆吉著 「東京路上細見④ー浅草・合羽橋・鳥越・浅草橋」 1989年発行

【Webサイト】

国税庁 浅草御蔵跡 https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/tokubetsu/h14shiryoukan/01a.htm

あさくさかんのん浅草寺 浅草寺の歴史 https://www.senso-ji.jp/about/

仲見世 浅草仲見世商店街について http://www.asakusa-nakamise.jp/about/index.html

 

【岐阜県】美しき水の都 大垣の湧き水を見にいく

こんにちは。ぬるるです。

 

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岐阜県大垣市、JR東海道本線の大垣駅にやってきました。

時には歌人の旅の終着の地として、また時には夜行列車でやってきた鉄道ファンが接続列車目掛けて朝っぱらからダッシュをする地として有名な岐阜県第二の都市です。

今回はこの大垣の町を探訪します。

 

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まずJR大垣駅の北口に出てきました。

右には「水都ブリッジ」の字があります。この「水都」というワードから分かる通り、この大垣の地は、豊かな水に恵まれた湧水地です。

 

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理屈っぽく説明するより、まずはその「水都」たる景色を見に行きましょう。そのまま北口を抜けた先に早速一つ目が登場。

 

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こちらは「水都北口オアシス」という名前が付いているようです。ただのモニュメントではなく、これもれっきとした湧水です。

 

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変わりまして南口。ここから歩いて行った先にも数々の湧き水があります。

 

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まずはこちら。大垣駅から徒歩12分ほど、栗屋公園の中にあるものです。

 

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上から見ると大垣市の市章の形になっているようで。

 

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道中に流れる川も綺麗ですね。

 

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続いて栗屋公園から10分くらい歩いた先にある「大手いこ井の泉」に来ました。

 

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金魚も泳いでいます。

 

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またまた歩いて10分ほど。

今回の個人的な目玉、大垣八幡神社の境内にある「大垣の湧水」の場所まで足を伸ばします。

 

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どぶどぶと湧き出でること限り無し。ここは特に水量がある気がします。

 

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この「大垣の湧水」は特に地元の方々の生活用水となっているのか、終始ひっきりなしに水を汲みに訪れている方がいらっしゃいました。私は単に写真を撮りに来ただけだったので、邪魔にならないよう合間合間を見つけて近付いていたのですが、前の人が汲み終えたらまたすぐ次の人が来る、そんなかんじだったのが印象的です。

 

さて、そもそもなぜ大垣は湧水に恵まれているのかと言えば、大垣市が位置する濃尾平野が関係しています。ただ正直、私自身もまだちゃんと理解がし切れていないところもあるので一部間違っているかもしれません。すみません

 

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美濃と尾張の国にかけて広がる濃尾平野ですが、養老山脈との接点にある養老断層を境に平野の西側が傾いており(濃尾傾動運動)、この養老山脈との間に出来た溝に、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)が運んできた大量の土砂が蓄積されました。

その上にあるのが大垣市。ここで堆積された砂利が帯水層であることから、地下を掘ると透明で綺麗な水が湧き出てくる、という仕組みみたい。

 

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岐阜市に次ぐ人口第二の都市。やはり人が集まる町には人が集まるだけの理由があることを思い知らされました。JR線のほか、養老鉄道や樽見鉄道も伸びる鉄道の要所でもある大垣。濃州の観光にもおすすめの地です。

 

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では、今回はこの辺りで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

参考文献

大垣市 わくわく湧き水マップ https://ogaki-wakimizu.jp/

大垣市公式チャンネル 水の都と湧き水の由来 https://www.youtube.com/watch?v=f0HDF34M_5A

岐阜の地学・よもやま話 小井土由光著 地形[1] 濃尾平野 〜岐阜県の平野〜 http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/chisitsu/gifunochigaku/topography/nobi_heiya/index.html

公益社団法人 日本地下水学会 帯水層ってなぁに?https://jagh.jp/activities/faq/archive/10/