こんにちは。ぬるると申します。
2024年02月01日、みなとみらい線こと横浜高速鉄道が開業20周年を迎えました。
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— みなとみらい線 (@mm21railway) 2024年2月1日
2024年2月1日#みなとみらい線開業20周年
を迎えましたⓂ️🎊✨
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多くのお客様にご利用いただき、おかげさまで本日、開業20周年を迎えることができました。
これからもお客様に愛される鉄道を目指して、新たな未来へ進んでまいります! pic.twitter.com/GAJel7EKKe
みなとみらい線は横浜駅〜元町・中華街駅の約4km区間を結ぶ路線。
その名の通り「みなとみらい駅」も経由するため、観光にも便利です。
ということで、今回は「みなとみらい線一日乗車券(460円)」を片手に、「500円で横浜を巡る」をテーマに観光してみました。
歴史的遺構や資料館などを中心に回ることで、比較的手軽な値段での観光が可能です。
※今回の「500円」には食費は含まれていませんので、それらの出資は別に考えてください。すみません。
◆「横浜駅」の歩みを探りましょう
今回の旅は横浜駅から開始します。
みなとみらい線のほか、JR線、京急線、東急東横線、相鉄線、横浜市営地下鉄ブルーラインが乗り入れる大ターミナル駅。その数は日本最多です。
そんな横浜駅ですが、これから目指すみなとみらい方面、いわゆる「港町としてのヨコハマ」からは少し離れていることにお気づきでしょうか?
やっぱり距離があります。
なぜ「横浜駅」なのに、このような離れた位置に存在しているのでしょうか?
それは、現在の横浜駅が三代目であることが関係しています。
どういうことなのか、まずはそれを考えながら旅を始めていきましょう。
横浜駅 → 新高島駅
さっそく一日乗車券を使い、お隣の新高島駅へ。
ここから8分ほど歩きます。目指すは市営地下鉄高島町駅方面。
新高島駅 → 二代目横浜駅遺構(徒歩)
首都高速道路、そしてJR京浜東北・根岸線の高架橋の下をくぐると目前に公衆トイレが現れます。そこをよく見てみると……?
「二代目横浜駅遺構」。
なんとこんな所に横浜駅の文字がありました。ここを曲がって見に行ってみましょう。
マンションの敷地内ですが、この遺構のある空地は誰でも自由に入れるので大丈夫。
なにやらレンガがあります。
そう、これこそが二代目横浜駅の跡。確かにここにかつての横浜駅があった証拠です。
ありし日の二代目横浜駅の写真は上記サイトで見られます。
今の東京駅と似た姿をしていたんですね。ちなみに設計者はどちらも辰野金吾氏。
大正4年(1915年)08月15日に完成し、大正12年(1923年)09月01日に焼失するまで、約8年間存在していました。
「1923年09月01日」と聞いて勘の良い方はお察しできるかもしれません。
二代目横浜駅が短命に終わってしまったのは、関東大地震が発生したからなのです。
相模湾北西部で発生したM7.9の地震により、横浜も甚大な被害を受けました。
震災の5年後、横浜駅は現在の位置に移転され、三代目横浜駅として開業、現在に至ります。
さて、再び地図を見てみましょう。
二代目横浜駅があったのが現在の地下鉄高島町駅の近く。現在の横浜駅との位置関係を見ると……?
あまり変わってなくない…?
つまり、二代目横浜駅が誕生した1915年の時点で「横浜駅」と「港町ヨコハマ」には距離があったことが分かります。なぜでしょう?
三代目、二代目があるなら当然初代があります。
ということで、今度は初代横浜駅を見に移動です!
新高島駅 → みなとみらい駅
またもや一駅だけ乗車。
お待たせいたしました、みなとみらい駅に到着です。
みなとみらい駅 → JR桜木町駅(徒歩)
歴史の話もいいですが、せっかくの観光なので風景も楽しみましょう。
駅を出てグランモール公園から南へ進むと、みなとみらいの象徴・横浜ランドマークタワーが間近に見えます。高さ296m。
かつては「日本一高いビル」として名を馳せましたが、2014年には大阪・あべのハルカス(300m)に、さらに去年には東京・麻布台ヒルズ(330m)にも抜かされ、現在は全国3位。時の流れは残酷です。
ランドマークタワーを過ぎると帆船が見えてきます。
こちらが有名な日本丸。船員養成用の実習船として、昭和59年(1984年)まで約54年のあいだ活躍した貴重な文化財です。
さて、日本丸を横に見てさらに進んだ先、そこが次の目的地になります。
到着しました。
遡ること約150年前。
明治5年(1872年)に新橋と横浜のあいだで日本初の鉄道が開業しました。これは歴史の教科書などで知っている方も多いかと思います。
国内随一の開港地となった横浜に、鉄道という当時の最新技術がやってきた、という姿はまさしく新たな時代の幕開けの象徴だったと言えるでしょう。
「観光地としての横浜」の最寄り駅が桜木町駅なのは、桜木町駅こそがかつて「横浜」の名を背負う駅だったからなんですね。
となると疑問となるのが、なぜ初代横浜駅は移転したのか?という点。
「横浜駅」は1915年になると、先ほど訪れた高島町駅周辺に場所を変え、当駅は桜木町に名を変えました。
これもまた、鉄道の発展が関係しているのです。
上の図にご注目。
当時の明治政府には「東京と大阪という東西の二大都市を結びたい」という目論見がありました。
東京・新橋から出発し、京阪神がある西へ向けて進みたい。
しかし、横浜駅を経由していこうとすると、途中でスイッチバックをしなければなりません。これはなかなか手間ですし、時間もかかります。じゃあ横浜を無視して進むか、というわけにもいかず。
ってことで、旧神奈川駅と程ヶ谷駅(現在の保土ヶ谷駅)の間に、新たに横浜駅舎を開設しよう、ということになります。
そう、これが先ほど訪れた二代目横浜駅ですね。
こうして初代駅舎は桜木町駅として生まれ変わることとなったのです。
◆横浜港を目指しましょう
桜木町駅 → 赤レンガ倉庫(徒歩)
さて、横浜駅の話は一旦終わりにしまして。
ここからはいよいよ横浜の港を見に行きましょう。
駅から海方向に向かうと、汽車道と呼ばれる道が伸びているのが分かります。
ここはその名の通り、かつて横浜臨港線が伸びていた場所です。また鉄道の話かよ!とか言わない
現在は遊歩道として整備されていますが、レール跡や橋梁などからかつての姿を想像できます。
「AMERICAN BRIDGE COMPANY. OF NEW YORK. U.S.A 1907」。
アメリカ生まれの橋梁です。かれこれ100年経っているんですね。
では早速、レール跡を辿って港方面へ向かいましょう。
途中、ナビオス横浜というホテルをくぐります。
廃線跡数あれど、ホテルの下を通り抜けるのはなかなか珍しい。
ナビオス横浜を越え、万国橋の交差点に行き着く辺りで線路が一旦途切れます。
しかしここまで来ればもう次の目的地が見えます。
着きました。
こちらも有名、赤レンガ倉庫です。
その大きさからも、横浜港が物流の拠点として栄えていたことが伺えます。
よくイベントが開かれているのですが、当日も何かのフェス中でした。
赤レンガ倉庫は2つあります。
横に長いのが2号館。
もう一つが1号館。後から作られた1号館にはスプリンクラーや防火扉などの火事対策のほか、荷物用エレベーターなども備え付けられ、当時としては最新鋭の倉庫でした。
こちらが保存されているエレベーター。
2号館が明治44年(1911年)生まれ、1号館が大正元年(1913年)生まれ。
こちらも関東大震災の影響を受け、1号館が半壊するなどの被害がありましたが、2号館はなんとか耐え抜き、7年後には修復・耐震改修を行い復活したそう。すごいですね。
赤レンガ倉庫の裏手に行くと、ついに海が見えてきます。
そこから北方へ歩くと、海上保安庁の巡視艦・あきつしまが停泊していました。
本艦の母港はここ横浜ですので、ちょうど帰ってきたところ…なのかもしれません。
◆横浜と警備の歴史を知りましょう
横浜は今も昔も海外から多くの船が訪れる場所です。
しかし時には、我が国の領海に不審船が侵入したり、禁止されている物資が密かに持ち込まれそうになるなど、平和を脅かす事例も起こります。
島国である日本は、そうした危険からどのように我々を守っているのか。今度はそれを知りに行ってみましょう。
先ほど、あきつしまが停泊していたすぐ近くには海上保安資料館横浜館があります。
下には「北朝鮮工作船展示」の字も。こちらは無料の施設ですので、気軽に入ることができます。
館内に入るとドンと船が展示されています。
これが例の工作船。平成13年(2001年)の12月22日、九州南西海域において不審船の情報を得た海上保安庁は早急に巡視船・航空機を派遣しました。
幾度にわたる停船命令を無視し逃走を続けたため、射撃警告ののちに威嚇射撃・威嚇のための船体射撃を行ったものの、不審船は逃走を継続。さらに巡視船に対し自動小銃、およびロケットランチャーによる攻撃を行ったため、巡視船側も正当防衛射撃を実施しました。
その後、不審船は自爆用爆発物によるものとされる爆発を起こし、沈没。
事件発生後は船体が引き揚げられ、調査が行われました。
施設内には工作船のほか、同じく回収された銃やロケットランチャー、ハングル表記の物資、北朝鮮の国民が身に着けているとされる「金日成バッジ」などが展示されています。
宮崎県に登録された漁船を意味する「MZ2-23…」と書かれた板も見つかっています。
漁船として偽装することも可能だったようです。
ちなみにこの資料館、一時前にTwitter上などで「横浜のデートスポット」と称して少し話題になっていましたね。その影響もあるのか、館内は老若男女問わず結構な数の人が訪れ、興味深そうに見学していました。良いことだと思います。
https://www.kaiho.mlit.go.jp/03kanku/kouhou/jcgm_yokohama/
どうやら去年の12月12日には来場者数が400万人を達成したようです。
皆さんも是非行ってみてくださいな!
海上保安資料館横浜館 → 横浜税関(徒歩)
赤レンガ倉庫を横切って、車道に沿って歩きます。
するとこんな建物が。
こちらが続いての目的地、横浜税関です。正確には税関の一角にある横浜税関資料展示室に向かいます。
こちらも入場料は無料。しかし無料とは思えぬ展示の充実さです。
さて、開港の地として重要な場所となった横浜。
海外からやってくる船の中には、国内で禁止されている薬物・銃を持ち込もうとすること、すなわち「密輸」を企む者も居ます。貿易により、そうした危険物資が輸入したものに含まれていないか、それを厳格に審査するのが「税関」という施設の役割です。
横浜税関の前身は「神奈川運上所」というもの。
こうした運上所は横浜のほか、長崎と箱館(函館)にも設けられました。
入ってすぐ、神奈川運上所の展示の中に面白いものがあります。
不平等条約としておなじみの「日米修好通商条約」を記したものです。その内の4条にはこのような表記が。
『阿片の輸入厳禁たり 若亜墨利加商船三斤以上を持渡らば其過量の品は日本役人之を取り上べし』。
だいたい意味は分かるでしょうか。超簡単に要約すれば「アヘン(=麻薬)を持ち込ませるな!」ということ。日本がついに開国して他国と貿易するぞ、となったその始まりの日から今日まで、麻薬の持ち込みは絶対禁止とされているのです。
禁止されているのは麻薬だけではありません。
拳銃および弾丸のほか、爆発物やクレジットカード等の偽造品、わいせつ雑誌等、海賊版や偽ブランド品なども持ち込もうとすれば厳粛に取り締まられます。
税関の標語には『許しません白い粉、通しません黒い武器』というものがあります。
税関密輸ダイヤルも「0120-461-961」で「シロイクロイ」となっていますので、皆さんも何かおかしな光景を見かけた際はこの番号を思い出しましょう。
ちなみにですが、この横浜税関はその特徴的な外見から、神奈川県庁、横浜市開港記念会館と合わせて横濱三塔と呼ばれています。
それぞれキングの塔・クイーンの塔・ジャックの塔と愛称が付けられ、横浜税関はクイーンにあたります。
ここらへんの写真が無いのは筆者が見るのに集中しすぎて撮影し忘れたからです。ごめんなさい
◆横浜と海外のつながりを見に行きましょう
日本大通り駅 → 元町・中華街駅
さて、キングの塔こと神奈川県庁を見ながら駅に向かいます。
そういえばさっき話に出た「神奈川運上所」はこの辺にあったみたいですね。
跡地のすぐ近くにはみなとみらい線の駅・日本大通り駅があります。
壮大な名前ですが、この通りはどこにあるのかというと……?
この横浜開港資料館の信号機から横浜公園までの直線道路がそう。
延焼防止のために設けられた街路で、日本初の西洋式街路として誕生しました。
ということで、日本大通り駅からみなとみらい線の終点に向かいます。
到着しました。元町・中華街駅です。
名前から分かる通り、出口を出てすぐに横浜中華街の朝陽門が見えます。
今回は中華街の方面には行きませんが、個人的には揚州飯店という中華料理屋さんがオススメ。非常に美味しいです。
さて、中華街とは反対の方向に進むと山下公園に出てきます。
山下公園は今回の旅でも再三出てくる関東大震災。それにより大量に発生した瓦礫を埋め立てて作った公園。現在はサンディエゴ市から寄贈された噴水「水の守護神像」や、シアトル航路を結んだ日本郵船の氷川丸などがシンボルとして置かれ、散歩・観光・運動問わず様々な人たちで賑わいます。
こちらが氷川丸。船内も見学可能です。
せっかくなのでもう一つの公園にも行きましょう。
山下公園から徒歩10分ほど。
山下公園 → 港の見える丘公園(徒歩)
ここから階段を登り進むと到着するのが港の見える丘公園。
どんな公園なのかはご覧の通り。
首都高速道路を手前に海が広がり、奥には大黒埠頭・鶴見方面が展望できます。
さらに進むと花庭も登場。綺麗ですねぇ。
この公園内で見るべきは景色や花だけではありません。道中、こんな名前の橋を通りました。
フランス橋。
さらに港の見える丘公園があるのはフランス山地区と呼ばれる場所です。
元々この区域は、日本か開国した際にフランス兵が駐在した居留地でありました。
これがそのフランス領事館の跡。
レンガ造りの2階建ての建物だったようですが、こちらも関東大震災により倒壊しました。
山手地区は外国人居留区として発展した所。
フランス以外にもアメリカ山や、イギリス館、石川町の方にはイタリア山もあります。
さて、時は安政6年(1859年)。
開港に伴い、当時は辺鄙な漁村であった横浜の地を整備するため、当時の幕府は様々な対応を行います。
そのうちの一つが「外国人と市民の生活範囲を区切る」ことでした。ってことで、その歴史が分かる場所へ移動しましょう。いよいよラストスパートです。
元町・中華街駅 → 馬車道駅
やってきたのは馬車道駅。
馬車道駅 → 吉田橋関門跡(徒歩)
JR根岸線の高架橋をくぐり、伊勢佐木町に入る……その手前でストップ。
ここがかつて居留地への入り口に設けられた関門の跡地、吉田橋関門跡です。
今となってはよくある一般道となり、楽々と行き来が可能なこの道も、昔は幕府によって人やものの往来を厳しく取り締まられていました。
ところで、皆さんは「関内」という地名の意味はご存知でしょうか?
この関門を見ればおおよその予想はつくかもしれませんが、吉田橋関門を境に外国人居留地を関内、その外側を関外と分けられたことに由来します。
そんな橋をわたってすぐ現れる駅の名が「関内駅」なのは、まさに適切と言えるでしょう。つくづく根岸線の駅名を考えた方はセンスがあるなぁと思います。
◆最後に横浜を俯瞰しましょう
吉田橋関門跡 → ザ・タワー横浜北仲(徒歩)
馬車道駅に戻る前に、せっかくなので横浜の街を見渡せる展望台へ行きましょう。
やってきたのは「ザ・タワー横浜北仲」という高層ビル。
ここには46階の展望フロアがあります。この手の展望台はだいたい有料ですが、なんとここは無料。横浜ほどの観光地でタダで見ることができるのは本当に凄いと思います。
46階からの景色。本当に0円で良いんですか?と聞いてしまいそうです。
ここから馬車道駅までは非常に近いのでアクセスも抜群。
◆お疲れ様でした
馬車道駅 → 横浜駅
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
今回の旅はここまで。あとは横浜駅に戻り、帰宅です。
無料で見られる遺構や資料館、公園などを見て回る観光でしたが、歴史的背景などを考えながら行くとより楽しむことができます。
横浜には他にも様々な名所・旧跡がありますので、是非ご興味のあるところを探して見に行ってみてください。
皆様の観光の参考となれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。